
これまで物語の種の見つけ方、一番最初のアイデアの探し方などを中心に色々試行錯誤してきた。
この辺で視点を変えて、物語の表現方法について学んでみたくなった。アウトプットだけでなくインプットも必要だから、新しいことを学んでみたくなった。
そこで思ったのが映画のシナリオのことだった。私の最終的な目標はいい小説を書いてみたいことだが、映画のシナリオにも興味を惹かれるものがある。
小説に比べて、映画のシナリオはある意味簡潔で、また厳密な印象を持っている。
シナリオを学でみたいと思った最大の理由は、シナリオの映像表現を目的とした形式だ。
私は小説も映像をイメージさせる表現手段だと思うからだ。
1. 登場人物の心理や感情を説明してしまうのを防げる
登場人物の心理や感情を、作者の言葉、つまり地の文で説明してしまってはいけないのは、読者の想像力を奪うだけでなく、感動も同時に奪ってしまうから、小説を書く上で必ず避けなければならないことだ。
作者から「主人公はこういう心理だから、読者もそう感じろ」と無理強いされるようなものだ。作者の伝えたいことを登場人物の仕草や行動、言葉から察するのが読者の最大の楽しみなのだ。その楽しみを奪ってはならない。
シナリオには小説の地の文に相当するものがない。シナリオは映像表現を目的としているので、映像でしか意図を伝えられない。
状況を伝えるナレーションという技術もあるが、その場合でもナレーション以前に、映像で状況を伝えられていなければならないと思う。
私もそうだったが、義務教育では小説の書き方など普通は習わない。高校でも同様だ。
習うとしたら作文で、作文はある出来事の事実と、その事実についての思いを表現するように求められる。
「〇〇ということがあり、私は〇〇についてこう思った」みたいな形式で、思いや感情を地の文で説明する傾向がある。
だから作文しか書いたことがない私のような場合、小説も作文の延長のような意識で表現しがちで、地の文で登場人物の心理や感情を書こうとしてしまうのだ。
この作文による習性を、シナリオの書き方を学ぶことによって、小説を書く上でも矯正して防ぐことができるようになるのではないかと考える。
2. 場面(シーン)を具体的に明確化できる
シナリオでは、場面(シーン)毎に、その場所と時間(朝、夜など)を指定しなければならない。
これも私の場合で恐縮だが、ある場面を描く時、場所はある程度想像しても、時間などは曖昧なまま書いていることがある。
シナリオでは場所や時間を特定しなければ撮影ができない。この制約は小説を書く上でも必要な条件に違いないから、場所と時間を確実に設定する癖をつけるにはシナリオを学ぶのは有効な方法だ。
またシナリオには「ト書き」といって、その場面の具体的な状況(心理や感情ではない)を説明する部分がある。
例えば、「大勢の群衆が駅前の広場で騒いでいる」とか、「AとBの会話を、Cがドアの向こうで盗み聞きしている」といったように、その場面の具体的な状況説明だ。
このト書きの要素をしっかり決めておけば、つまり小説では地の文で説明しておけば、読者の想像力の正確な助けになる。
小説でもト書きの要素を確実に伝えることが必要なので、その意味でもシナリオを学ぶことは役に立つのだ。
3. モンタージュで視覚的な表現を学べる
モンタージュというのは、カットとカット、あるいはシーンとシーンの繋がりによって新しい意味を伝える手段だ。
たとえば、あるカットで涙を流す女の顔のアップがあり、続いて墓地に棺を埋めるカットがあったとしたら、本当は全く関係ないものだったとしても、女は愛するものの死を悲しんでいるように感じる。
熱狂する聴衆の前で独裁者が拳をあげて演説するシーンの後に、収容所に送られる人々を載せた列車のシーンが続いたら、非人道的な感情を観ている人たちに強く訴えることができる。独裁者だけでなく、熱狂する人々の罪も感じさせることができる。
このように、異なる映像的なもののつなぎ合わせ方によって、地の文で説明するよりも、遥かに効果的に作者の意図を表現することが可能になる。
小説にも、このモンタージュの技法を是非取り入れたいと私は願うのだ。
読者に映像をイメージさせられるのが良い小説
良い映画(個人的に感動する映画)は必ずいつまでも記憶に残るシーンがある。
映画の正確な題名や出ていた俳優の名前は忘れてしまっても、心を動かされた場面は消えることがない。
ちょっと思い浮かべるだけでもいくつかある。
- イタリア映画『自転車泥棒』で、やっとありついた仕事のために必要な自転車を盗まれた父親が、困り果てた挙句に自分も自転車を盗もうとして見つかってしまい、持ち主達に殴られるのを幼い息子に見られてしまった時の父親と息子の沈黙の表情。
- 日本映画『二十四の瞳』で、家が貧しく養子にだされた女の子を、修学旅行先の飯屋で働かされているのを見つけてもどうすることもできない大石先生。惨めな姿を見られたくなくて隠れて同級生たちを見送る女の子の涙。
- 中国映画『初恋のきた道』で、地方の村に赴任してきた青年教師にほのかな恋心を抱く少女が、町に帰ってしまった青年をいつか戻ると信じて、雪の降る中こごえながらいちずに待ち続ける姿。
映画と小説は形式が違うが、小説の目指す理想は、読者に物語の情景や登場人物たちの表情や心理を、まるで映画でも観ているように想像させることだと思う。
良い映画がそうであるように、良い小説も読者に映像をイメージさせるられることが理想だ。
だから、映像表現のための指示書であるシナリオのことを学ぶのは、良い小説を書くために有効なことだと確信する。
今、私の手元には『シナリオの基礎技術』(新井一 著)という本がある。しばらくはこれを教科書にシナリオについて学んでみようと考えている。
参考文献:
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