有り得ないことを「もしも〇〇だったら」と想像して物語を考える1

物語
有り得ないことを「もしも〇〇だったら」と想像して物語を考える1

私は、「物語というものを、どうしたら苦しまずに作ることができないか?」ということを考えている。

無から有を生み出す作業だから、簡単ではないという思いがある一方、生み出す工程を身に着けていないだけのような気もするのだ。

物語を生み出す工程とは、想像力の使い方だと思う。想像力の使い方が正しければ(自分に適していれば)、自分なりの生み出す工程を獲得できるに違いない。

想像力の使い方で私が今強く感じているのが、「もしも〇〇だったら」という仮定のことを想像する方法だ。

今回は「もしも〇〇だったら」を使って物語を生み出してみたい。

自由に想像することって意外と難しい

これまでの少ない私の経験ではあるが、「自由に想像する」ことは意外に難しいと感じている。

敷かれたレールの上を歩いて来た者、人様の迷惑にならないように生きて来た者ほど、「自由に想像する」ことが難しく感じる。

私は決して善人などではないのに、そう感じるのだ。

思っている以上に常識に縛られている

短い文章を書くにしても、できるだけ論理的に文を組み立てることが価値の有ることだと思っている。

社会生活でも、失礼なことはあったにしても、あまり常軌を逸したことはないように務める。

身の回りのことから世の中でのことまで、いつの間にか「常識」という制約で自分を規制してしまっている。

その自己規制に普段は気がついていない。しかし、ひとたび「自由に想像する」ように自分を仕向けても、染み付いた常識が自分の発想を狭い範囲に押し込めようとする。

「もし〇〇だったら」と、せっかく自由な想像の道具を手にしても、臆病な子供のように冒険を躊躇して、安全でありふれた発想しかできない。

「こんな仮定は馬鹿げていて有り得ない」「こんなこを想像すると精神を疑われる」

想像することでさえも、世間体みたいなものを気にしてしまうのだ。

いや、世間体とも違う。そんな大げさなことじゃない。もっと深層心理の底の方で、合理的に考えようとする本能のようなものだ。

この傾向が強いほど、想像に富んだ面白い発想ができない。自分は平凡な人間だという思いが、自分が意識している以上に心の奥底で自分を縛り付けている。

奇想天外過ぎても面白くない

矛盾するようだが、仮定の想像が突飛過ぎても面白くないとも思っている。

私はSF映画の『2001年宇宙の旅』、『ブレードランナー』などは好きだが、『スターウォーズ』、『ジュラシックパーク』などは夢中になれない。

これは好みの問題なのだが、自分の中で「リアリティ」を感じないからだ。このリアリティとは、個人的に感じる「有り得る」ような感覚だ。

このリアリティは人によって異なると思う。私と正反対の人もいるはずだ。だから物語を作ることは個性的な営みで面白い。

自分にとってあまりに奇想天外な想像をしても、物語は面白さを失ってしまうと思っている。自分が面白いと感じなければ物語は作れない。

自分のリアリティの感覚を信じて、この感覚が失われない範囲で想像を自由に膨らませたい。

一番大事なことは、自分がリアリティを感じて、自分が面白いと思えることだ。他人の評価は作った後のことで、自分が関わらない先のことだ。

自分だけのリアリティと奇想天外の間を見つけるのだ。

常識の反対を想像する

何だか想像することも難しそうになってきたが、深く考え過ぎないでいこうと思う。

とりあえず、「常識の反対」のことを想像したらどうだろうか?

常識の反対はたいてい奇想天外だ。常識とは反対のことを想像してみて、そこにリアリティがなければ採用しなければ良い。

この作業は思うほど簡単ではないと思う。ふだん常識の反対を想像することに慣れていないからだ。

多くの人は、良い人に思われたいと思いながら生活している。私もその一人だ。なるべく周りに迷惑をかけないように思いながら生きている。

「常識の反対って何だ?」と戸惑ってしまう。

  • 太陽や月、宇宙や自然の常識の反対は?
  • 食べることの常識の反対は?
  • お金の常識の反対は?

直ぐに答えが浮かばない。自分の常識が邪魔をして、常識の外へなかなか飛び出せない。

常識という引力を打ち消すような力が必要だが、この引力には逆らっても無駄なような気がする。常識を忘れることなどできないのだから。

もっと引力の弱いところへ移動すればいいと思う。つまりテーマが大きすぎて、常識への引力が強すぎる場所から、テーマが小さくて引力の小さいところへ移動するのだ。

その小さなテーマ、小さな常識への引力の場所とはどこだろう?

私は自分のごく身近なことをテーマにすることだと思う。

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