
今日はどうしたわけか子供の頃に読んだ漫画が、ふと頭の中に浮かぶことがあった。どうしてだろう?と考えたら、いくつか思い当たることがあった。
- 先日逝去された長嶋茂雄さんが若かりし頃に、『少年マガジン』の表紙を飾ったことがあり、バットを構えた凛々しいい姿が思い浮かんだから。
- 昭和の懐メロをSpotifyで聴いていたら、なぜか克美しげるさんのことを思い出し、彼が歌ったテレビアニメ『エイトマン』の主題歌のことや、原作漫画『8マン』を描いた桑田次郎のことを思い出したから。
そういうわけで、私が子供の頃に読んで、今も懐かしく思い出すことができる漫画をいくつか挙げてみたいと思う。時系列に関係なく思い出される順になっている。
- 『ハリスの旋風』(作画ちばてつや)
私はちばてつやの画風も好きだが、どの作品の登場人物も庶民的な気取らない温かさを感じて気に入っていた。
ちばてつやの作品で最初に出会ったのは『ちかいの魔球』という野球漫画だ。もう、内容はほとんど覚えていないが、強敵のライバルチームと戦うシーンはぼんやり思い浮かぶ。しかしウイキペディアであらすじを調べてみると、私が見ていたのはほんの最初の部分でしかなく、主人公が巨人軍に入って活躍し、最後には魔球の投げすぎで肩を壊して引退してしまうなどの部分は全く見ていなかったようだ。
その後『紫電改のタカ』も読んだ記憶がある。太平洋戦争時の戦闘機パイロットが主人公だが、これも内容はほとんど思い浮かばない。
一番記憶に残っているのが『ハリスの旋風(かぜ)』だ。体は小さいが喧嘩が強く、大きな山のような怪物の番長と対決するシーンが思い出される。番長との死闘しか記憶に残っていないといってもいい。この作品はアニメ化されたので、主題歌の中のフレーズ「ドンガードンガラガッタ、ドンガードンガラガッタ」が懐かしい。そうだ、主人公の名前は石田国松だったと思う。「国松様のお通りだい」って歌詞が続いていた。
ちばてつやの作品は、その後も『あしたのジョー』や『のたり松太郎』で垣間見たりすることはあったが、子供の頃のように夢中になることはなかった。
- 『ストップ兄ちゃん』(作画関谷ひさし)
この漫画は、漫画王だったか、冒険王だったか、正確な名前は忘れてしまったが月間漫画の付録でもよく見ていた記憶がある。当時は漫画の月刊誌があって、付録として小型版の漫画が付いていた。
運動神経が良くておっちょこちょいの兄と、賢い弟のやりとりが面白かった記憶がある。
- 『黒い秘密兵器』(作画一峰大二)
この野球漫画は強烈に印象に残っている。投球モーションの途中、ボールを握った手が腰の辺りにある時点で、手首のスナップだけで豪速球を投げてしまう魔球や、西鉄ライオンズの稲尾投手が、家業を手伝う中で船を漕ぐことで足腰を鍛えたエピソードなどが思い出される。
『ちかいの魔球』と同じように巨人軍に入団し、魔球の投げ過ぎで身体を壊して去っていくところがよく似ている。調べたらどちらも原作者が福本和也で同じだったので、なるほどと思う。
- 『伊賀の影丸』(作画横山光輝)
この漫画を思い浮かべると、当時の周りの景色まで思い出される。秋の西日が差し込む縁側で、落ち葉が時折風で落ちていた。
この漫画で、伊賀とか甲賀の忍者のいることを知った。忍者が木々の間を飛び渡る場面が独特の雰囲気があって記憶に鮮やかに残っている。
忍術としては、何体にも自分の分身を現して敵を撹乱する分身の術や、細い竹のような管で息を吸いながら水中を移動する水遁(すいとん)の術などを知ったのもこの漫画だった。
横山光輝の作品を初めて見たのは、月間漫画『少年』に連載されていた『鉄人28号』だが、雑誌で見たのはごく僅かで、テレビアニメ化された番組の記憶での印象が強い。しばらく、鉄人28号をノートや紙切れに描くのに夢中になった。
- 『丸出だめ夫』(作画森田拳次)
子供の頃の私は、「自分は普通以上の能力の持ち主に違いない」と思っていた。だから駄目な奴の気持ちなど思いやることがなかった。まったく嫌な奴だ。
だから丸出だめ夫のしでかすお粗末な姿を、高みの見物のような気分で笑っていた。でも、自分が思春期から青年期を経て社会に出ていくにしたがって、「自分はまったく丸出だめ夫だ」と思い知ることになる。
他人を笑うのは、自分の欠けていることに気が付かずに笑っているのだということが、人生を経るにしたがってわかってくる。
そういえばボロットという名のロボットがいた。実写化されて保積ペペと十朱幸代の父親の十朱久雄、そしてブリキで作ったような四角いロボットのボロットなどの映像の方が漫画よりも印象に残っている。
- 『8マン』(作画桑田次郎)
桑田次郎は『月光仮面』や『まぼろし探偵』を描いていたと思うが、私は同時期に漫画を見ていない。かろうじて、それらが実写化されたテレビドラマの最後の頃を見た記憶があるだけだった。
同時代的に見た漫画は『8マン』だけだ。確か不慮の事故で死んだ刑事が、後のアメリカ映画の『ロボコップ』みたいに、脳だけ活かしたサイボーグに生まれ変わって活躍するスーパーヒーローだった。ものすごい速さで走れるのが印象的だった。
タバコみたいなものを吸わないと生きられないハンデを背負っていた。あれは何だったのか思い出せない。調べてみると、動力源の超小型原子炉と電子頭脳の熱を冷やすための冷却剤(強化剤)だったようだ。
- 『おそ松くん』(作画赤塚不二雄)
少年サンデーの連載だったと思う。当時は少年マガジンの方が人気があったと思うが、『おそ松くん』だけは別格で、この作品だけを目的に少年サンデーを見ていたような気がする。あ、そうだ、藤子不二雄の『オバケのQ太郎』も少年サンデーだった。この2つの作品が少年サンデーの目玉だった。
『おそ松くん』にはたくさんの個性豊かなキャラクターが登場するが、私はチビ太とハタ坊が好きだった。おでんが大好物のチビ太はいたずら好きで、おそ松くんたちを困らせてばかりいたが、天涯孤独で同情すべき境遇を背負っていた。いつも頭に日の丸の旗を立て、鼻水を垂らしながら「ダジョー」が口癖のハタ坊は知恵遅れの子供で、みんなに馬鹿にされていた。チビ太の弟分的な設定だったかと思う。
イヤミとかダヨーンのおじさんなどの強烈なキャラクターよりも、ハンデを負いながらたくましく生きているキャラクターに共感した。
主人公のおそ松くんたち六つ子はまったく個性的なところがなく、面白いところはなかった。脇役のキャラクターたちだけで漫画を盛り上げていた。
振り返ってみると、夢中で漫画を読んでいたのは1960年代の中頃の5,6年ぐらいで、その後に出てくる『巨人の星』『あしたのジョー』『男一匹ガキ大将』なんかは小学生の高学年から中学生として面白く読んでいたが、子供の頃のように夢中になるような熱はなかったと思う。
子供の頃は漫画の世界に自分が浸って、その間は時を忘れたような喜び、別世界に遊んだような楽しさがあったが、思春期になると、主人公と自分、主人公の生き方と自分の現実みたいな対比的な読み方になって、漫画の世界で我を忘れるようなことが無くなった。
その後、永島 慎二、辰巳ヨシヒロ、白土三平、水木しげる、つげ義春なんかの漫画を青年漫画雑誌『ガロ』で時折読んだが、漫画との付き合いは大学生ぐらいまでで、それ以降はほとんど見なくなった。
例外的に読んで面白かったのは、50歳の頃に読んだ『浦安鉄筋家族』(作画浜岡賢次)。『東大一直線』(作画小林よしのり)や『がきデカ』(山上たつひこ)と同じくらいの破天荒さの衝撃があった。それから60歳を過ぎて『二十世紀少年』を全巻読みたくなって購入したことがあった。映画で展開がわかりにくかったので確かめるために読んだ。
今読んで見たいと思うのは、『闇金ウシジマくん』(作画真鍋昌平)だ。山田孝之主演の実写化されたドラマ3作を観て、魅力的なウシジマくんのキャラクターと裏社会の描写が、原作ではどう描かれているんだろうという興味がある。
歳を重ねるというのは悲しいことで、だんだん夢中になれるものが少なくなっていく。夢中になっているようでも、どこか覚めているのだ。
子供の頃の思い出の記憶をたどるのが、夢中になった感覚を少しだけ思い出させてくれる、70過ぎたジジイのささやかな楽しみなのだ。
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