自分の一日に「もしも〇〇だったら」と問い常識を超えた物語を考えた

物語
自分の一日に「もしも〇〇だったら」と問い常識を超えた物語を考えた

意気込んで物語を作ろうとすると、大きなテーマに発想が行き勝ちになる。

そうなると常識に引き戻そうとする引力も強くなるので、意識して身近の小さなテーマに目を向けるようにしたい。

自分の目の前にある物や事に注目する。自分のことなのに、案外意識していないことに気がつく。

それらの小さな物や事を見つめて、「もしも〇〇」だったらと自分に問いかけて、常識の反対を想像してみる。

自分の目の前には何が転がっているのだろう?

自分の身近なことといっても未だ漠然としている。考えやすいように、もう少し具体的に絞ってみたい。

私の一日

先ずは、自分の一日を振り返ってみることにする。自分の日常の生活を、朝から晩までどんなふうに過ごしているかたどってみる。

  • 朝7時に起きて、歯磨き・洗顔をする。
  • 豆乳とバナナ、ミカンなどを食べながらテレビを見る。
  • 仕事(在宅での外注仕事)があればして、なければパズル雑誌の問題を解く。
  • 疲れたら屈伸運動をしたり、床掃除をしながらテレビを見る。
  • また仕事がパズル雑誌に取り組む。
  • 昼12時から13時頃に昼食(大豆と小豆などを混ぜた豆乳)
  • 午後は仕事か趣味の学び(読書、プログラミング、語学など)
  • 午後も息抜きに屈伸運動をしたり、コーヒーを飲む。
  • 夜の7時から8時頃に夕食(和食か、麺類と野菜などが多い)
  • テレビで映画を観たり、ブログの記事を書くかパズル雑誌に時間を費やす。
  • 12時頃に、スマホでポッドキャストを聞きながら就寝。

簡単に振り返えると、私はこんな風に一日を過ごしている。年金だけでは苦しいので、在宅でできるアルバイト的な仕事をしながら、好きなことをしようとしている。

特に変わったことはしていないと思う。そんな私の一日の生活でも、ここから物語の種を見つけることは出来るはずだ。

「もしも〇〇だったら」から始まる別の世界。

  • もしも朝目覚めることがなかったら→死後の世界。
  • もしもテレビが映らなかったら→電波ジャックされた世界。
  • もしもパズルの問題が全く解けなかったら→認知症の世界。
  • もしも膝が曲がらなかったら→人工関節→サイボーグの世界。
  • もしも食欲を感じなかったら→食べずに生きる世界。
  • もしも本を読めなくなったら→言葉の意味を信じられない世界。
  • もしも眠れなくなったら→眠らない世界。

自分の平凡な日常生活が突然できなくなった時、そこから別の世界が始まる。

カフカの『変身』のように、あるる朝目覚めると自分の周りや、自分自身が全く変わってしまっている状況が想像できる。

日常が平凡であるほど、「もしも〇〇だったら」という思考回路を通すことで、「有り得ない世界」を目の前に運んでくれる。

この有り得ない世界に対して、自分がリアリティを感じるか、面白さを予感するかなどの判断で採用すればいい。

眠らずに生きられる世界

試しに、私がリアリティを感じ、面白そうな予感を感じた世界を少し考えてみたい。

  • ある日を境に、どうしても眠れなくなった。
  • お酒を飲んでも、体を疲れさせても眠ることができない。
  • 精神科の医者にかかり睡眠薬を飲んでも眠れない。
  • 眠れないのなら眠らない生き方を始める。
  • ある日深夜3時を過ぎた頃、誰かの声が聞こえてくる。
  • 幻聴かと思ったが、よく聞くと亡くなっている父や母の声だった。
  • 父母の声によると、まだ天国にも地獄に行かずにさまよっているらしかった。
  • 声だけだったのが、やがて父母の姿も見えるようになる。
  • 父母がいる世界に連れて行かれ、生きていた世界と変わらないことを知る。
  • 死んでも苦しみや悩みが残る世界を知り、生きることに絶望する。
  • しかし、死んでも苦しみは無くならないことを知ってしまったので、死ぬこともできない。
  • 生きている間に苦しみを無くさなければと考える。
  • 「自分の苦しみとは何だろう?」と考えた。
  • いろいろ考えてみたが、どれも大した問題ではないように思えてくる。
  • 自分がどうでもいいことで苦しみながら生きていることに気がつくと、急に激しい眠気が襲ってくる。
  • 深い眠りの中で、笑顔で天高く遠ざかっていく父母の夢を見る。
  • 気持ちの良い朝に目を覚ますと、夢のことなど覚えていなくて、また満員電車に揺られて、馬鹿にされながら働いている仕事に出かけていく。

感想

面白いかどうかは別として、なんとか日常から離れられる感触は得られたと思う。

日常をちょっと離れて見るだけで、得体の知れない物語の入口が開く。

この入口は普段は隠れていて、想像力によって形を現す。その入口は、自分の心の中に続いているような気がした。

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