
『シナリオの基礎技術』(新井一著)を教科書にして物語の作り方を学んでいるところだが、その途中で思いついたことがあった。
それは物語の核となるものは何か?と考えた時、2つのことが浮かんだ。
- 何かの問題がある(問題が起きる)。
- その問題を解決する人物が現れる。
物語の存在意義、役割とは、問題解決の教訓を伝えることにあると思う。神話やおとぎ話(昔話)などは、誰にでもわかるように形成された先祖伝来の問題解決の教えと言える。
- 問題はどのように解決されたのか?
このことが伝われば、物語の役割は果たされたことになる。
その上で、魅力的な人物の登場によって問題が解決されたとなれば、物語は更に面白みが増すことになる。その人物が英雄にされたりする。
だから、問題とそれを解決する人物という2つの要素が揃えば、面白い物語の条件は成立すると考えるのだ。
そこで、
- 問題はどう作るか?
- 問題を解決する人物はどう作るか?
という具体的な創造の段階に入る。
問題はどう作るか?
問題を考えることはテーマを考えることと同じことだと思う。
しかし、「テーマをどうするか?」と思うと、たちまち思考が行き詰まってしまう。それに比べて、「問題は何か?」と考える方が思考が止まりにくい。少なくても私はそうなのだ。
これは、私にとって「テーマ」よりも「問題」の方が、より具体的な想像を掻き立てるからだ。
では、問題はどう作るのか?
問題はどこにもある
いわゆる「問題」はどこにもある。社会にもあるし、家庭の中にもある。現在にもあるし、過去にも未来にもある。「問題」は自分の周りに溢れている。
私は問題の選び方よりも、問題から何を取り出すかの方が重要だと思っている。この取り出したものがテーマにつながると思う。
様々な問題が、自分の遠いところにも近いところにも転がっている。それらの問題は、直接取り上げても自分にとって興味の持てる物語のテーマになることは少ない。
そこで一般的な問題から、自分が書きたくなるテーマを導くための作業が必要になる。
問題を抽象化する
例えば、選挙で負けた政党の党首が責任をとって辞任すべきかどうかという問題があったとする。
この政治的な問題を直接扱うのではなくて、「ある集団で失敗があった場合、リーダーは責任をどうとるべきか?」というように問題を抽象化する。
抽象化したものを再度具体化する
抽象化したままでは具体的な物語まではまだ遠い。そこで、抽象化したものを再度具体化する必要がある。抽象化したものを、自分の興味のある世界に具体化するのだ。例えば、
- 敗残兵の集団を率いる上官が、敵国の民間人を虐殺するよう部下に命じる。上官の命令に逆らえなかった部下は罪悪感に苦しみ抜いた挙句、敵との戦闘のドサクサ乗じて上官を射殺して贖罪をする。
- 同級生グループに万引きを強要された少年が見つかり補導される。グループが恐れていた予想に反して、少年が告げ口をしなかった勇気に、良心の残っていたリーダー格の少年が改心する。
- ベテランのパート従業員達の老人への虐待が常態化した介護施設があり、人手不足に悩んでいた施設の経営者は見てみぬ振りをしていた。いじめられた経験のある新入社員の青年が勇気を出して告発する。
一般的な問題の本質を抽象化し、それを再度興味のある分野で具体化する。それが書きたい物語のテーマになる。
問題を解決する人物はどう作るか?
問題の抽象化と再度の具体化の過程で、問題を解決すべき人物、物語の主人公になるべき人物の簡単な姿は思い浮かぶ。
この人物をもっと具体化する必要がある。そのためにはどうするか?
解決する人物のバックストーリーを考える
問題を解決する人物を具体化するには、その人物のエピソードをできるだけ多く想像することで実現できると考える。
物語とは直接関係ないと思われるエピソードでも、その人物の性格や考え方を表すことができる可能性がある。
人物を総合的に想像することができれば、物語のテーマに沿って、物語のクライマックスに向かって、人物=主人公が自然に動き始めるのではないかと思う。
例えば、介護施設で老人を虐待するベテランパート従業員と対峙する若き社員のバックストリーを考えてみる。彼の名前を仮にAとする。
- Aは小学生の時、動作が鈍いことでいじめられたことがある。
- 中学生のAは捨てられていた子犬が可愛そうに思い拾って来るが、動物嫌いの父親に戻してこいと叱られても、捨てられずに隠れて飼っていた。
- 高校生のAはハンバーガーショプの厨房でアルバイトしていた時、面倒な洗い物や後片付けを他のアルバイト仲間から押し付けられても、逆らわずに黙々とこなした。
- 大学生のAは、どこの会社の面接を受けても採用されなかったが、人の役に立ちたいという気持ちが通じて介護施設にやっと就職することができた。
こんな感じで、Aのエピソードを考えられる限り出し尽くしてみる。
バックストーリーは物語の方向を考えることでもある
バックストーリーを考えていると、主人公の性格だけでなく、物語の望む方向を探っている感覚になる。
主人公がこういう性格だから、こういうエピソードが生まれるという場合もあるが、こういう方向に物語が進んで欲しいから、こういうエピソードを主人公にして欲しい、という場合もある。
バックストーリーを考えていると、問題を解決する主人公はこういう性格だろうから、こういうエピソードがありそうだと思う。
それと同時に、問題解決の物語はこうあって欲しいから、こういうエピソードがあるだろう、というように、主人公の性格と物語の方向を同時に想像している。
私が想像したAという人物の性格は、不器用で要領が悪く、気持ちを伝えることが苦手な内気な青年。それでも、真面目に一生懸命に生きよう、無能な自分でもなんとか人の役に立ちたいと思っている。
こういう性格の青年が、目の前の不正に怖気づきながらも、なんとか勇気を振り絞って正義を行う、という物語の方向に持っていきたいと私は思いながら想像した。
主人公の過去から未来へのエピソードが物語になる
主人公のエピソードを過去から現在、未来へと想像していくと、物語の発端になる問題の発生、問題との争いからクライマックス、そして問題の解決と結末の余韻という流れでエピソードが続いていく。つまり、起承転結という潜在意識が自然と働いた。
これは良いことかどうかわからない。起承転結という束縛が自由な想像を邪魔するかもしれない。この段階では構成は考えない方がいいと思う。とにかくエピソード出し尽くすことの方に重点を置きたい。
主人公のバックストーリーを完成させると、物語に必要なエピソードも完成する。バックストーリーの中からは、バックからフロント、表の物語に相応しいものが出てくるのではないかと思っている。
エピソードの中には、主人公以外の人物も登場することになる。できることなら、それらの登場人物のバックストーリーも作ることができれば物語の完成度は上がるだろう。
こうしてみると、物語を作るという作業は、バックストーリー(からフロントストーリーへ)のエピソードを想像することのような気がしてくる。
そう思うと、今まで苦痛に思っていた物語の創作が、何だか楽しそうに思えてくるから不思議だ。
今まで起承転結などの構成から物語を考えないとと堅苦しく思っていたのが、自由にエピソードを出し尽くすことだけに集中すればいいように思えてくる。
エピソードは時系列の順番に想像しなくてもいいだろう。兎に角自由に想像することが重要だと思う。
バラバラのエピソードを取捨選択して構成してもいいかもしれない。物語の方向を思いながら想像するので、バラバラに出したエピソードでも、再構成しやすいはずだ。
あまり難しいことは考えずに、エピソードを出し尽くすということに集中した物語の作り方に挑戦してみたい。
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