
『14歳の君へ どう考えどういきるか』(池田晶子著)で、著者が「意見」と「考え」は違うということを述べている。
- 意見とは自分だけが正しいと思うこと。
- 考えとは誰から見ても正しいと思うこと。
意見とは、自分では正しいと思っていても、そこには好きとか嫌いとかの感情が入り込んでいる可能性があり、あくまでも個人的な思い込みに過ぎない。
それに対して考えとは、誰から見ても正しいと思えるもので、あらゆることを疑ってみて得られる結果である。
こんな風に著者は意見と考えの違いを説明して、意見よりも考えを持つようにアドバイスしている。
でも、そんなことができるのだろうかと、私は疑問を感じてしまった。
誰から見ても正しい考えなんて、自分だけで得られるのだろうか?それに、意見を求められる実際の現場で、全てのことを疑って見るなんてできるのだろうか?
綺麗事、机上の空論、頭の中だけで考えたようで、それこそ著者の「意見」に過ぎないように思えてしまった。著者の見切り発車的な、奇をてらった思いつきに見えてしまった。
そこで私は、著者の考え方を問題提起として、自分だったらどのように発展できるか考えてみた。
「意見」と「考え」の違いを著者の見解が正しいと仮定した上で、求められるべき「考え」を得る方法があるか具体的に考えてみたい。
つまり著者の論を、実際的に補強することが出来るかという試みだ。
誰から見ても正しい考え
これは理論的には可能でも、実際には無理なことだ。人の数が有限である限り、理論上は全ての人が正しいと考える結論は有り得る。
しかし、全ての人の考えを訊いて回ることなど不可能なことなので、実際は実現不可能なことと言える。
それでは、「誰からも」を限定してみたらどうか?「誰からも」を、例えば会議の場の参加者、あるいはそのテーマに関わっている関係者など、限定的な「誰からも」なら著者の論は可能性が出てくる。
しかし、それでも実際問題になると、参加者、関係者全員の意見を聞き取ることは、事務的、時間的にかなりハードルが高い。とても実際には無理なことに思える。
それでは、更に「 誰からも」の範囲を狭めてみたらどうだろう?それは、自分の中で考えられる限りの他者の立場になって、自分とは異なる考えを想像してみるのはどうだろう?
でも、ただ色々な意見を想像するだけでは、混乱してまとまらないように思える。もう少し着実な方法はないだろうか?
ヘーゲルの弁証法を使ったらどうだろう?
ヘーゲルの弁証法とは、誰かの意見(テーゼ)が提案されたとして、その意見に反対する意見(アンチテーゼ)が起こり、両者の対立する意見を乗り越える意見(ジンテーゼ)に導かれるという問題解決の方法だ。
この弁証法を個人の頭の中で行ってみてはどうだろうか?具体的にはこんな感じだ。
- 先ず自分が個人的に正しいと思える意見を自覚する(テーゼ)。
- 自分の意見に対立する意見を想像してみる(アンチテーゼ)。
- 想像した反論と自分の意見の両者を満足させる意見を考える(ジンテーゼ)。
- 以降必要に応じて1から3を繰り返す。
言わば、個人的な弁証法といったところだ。
会議や討論の場、あるいは文書で意見を求められる場合に、いきなり思いついた意見を表明するのではなく、個人的な弁証法を試みて、よりよい結論(ジンテーゼ)を発するようにする。
この方法なら、著者が理想とする「誰からも正しいと思える考え」には届かないが、実際の現場では実用的なのではないだろうか?
個人的弁証法の実践例
議題:早朝の散歩の是非を問う。
卑近な議題として早朝の散歩を取り上げてみた。深く考えなければ、時間的、体力的に可能なら散歩したら良いに違いない、反対意見などあるのだろうか?という感じになると思う。
特に早朝の散歩は、新鮮な空気の中を歩いて、軽い汗をかきながら、寝ぼけた体が目覚めていく爽快感がある。
実を言うと、最近私は朝の6時頃から2時間程散歩をしている。始めてからもう半年以上が経つ。
勿論、肥満の解消や弱りがちな足腰の補強のためにやっているのだが、本当に良いことなのか個人的弁証法で考えを確認してみたい。
1. テーゼ: 早朝の散歩は空気も新鮮で、特に夏の時期は温度も低く紫外線も少ないので体の為には適している。
また、まだ完全に目覚めていない体を、適度な有酸素運動によって活性化させ、一日の活動の準備をする働きもある。
散歩自体も軽度な運動なので、特別な事情がなければ誰にもできる。四季を通じて移り変わる自然を感じる楽しみもある。だから、早朝の散歩を私は推奨する。
2. アンチテーゼ: 健康維持のための散歩自体には同意する。しかし早朝に行うことには賛成しかねる。
早朝ということは、まだ朝食をとる前に運動を始めると思う。十分なエネルギーが不足した状態で、運動を始めるのは好ましくない。あるいは朝食をとった場合、直ぐに運動するのはこれもまた良くない。
早朝の散歩は、後に用事が控えているのでどうしても時間を気にしてせわしなくなり、余暇を楽しむというよりも、義務的な感じを受ける。
また、早朝の散歩は寝不足の状態で行いがちになる懸念もある。
だから、散歩するなら夕飯を済ませて十分に食休みした後、余裕を持って散歩する方が良いと考える。
3. ジンテーゼ: 確かに私は朝食をとらずに散歩に出かけている。それは家族もいるので朝食の支度するのにはまだ早いし、食べることができたとしても直ぐには動きたくない。
私は朝食を食べなくても、特にエネルギー不足みたいなことを感じたことはない。
夕方や夜の散歩は賛成できない。既に仕事や家事で疲れてしまっていて、夕食をとったとしても散歩をしようという気力が湧いて来ない。夕食の後は体を休めてテレビでも見ながらのんびりしたい。
また夜は暗くて人通りも少なく、安全面で不安がある。だから、散歩するなら早朝が良いと思う。
ただ、朝食というほどではなく、牛乳やジュースみたいな飲料を飲んでから早朝の散歩に出かけた方が良いと思った。特に夏場は汗を多くかくので水分を十分とってから出かけるべきだと感じた。
また、寝不足を感じた朝は、無理をしないで距離や時間を短くした方が良いと思う。
寝坊した時などは、無理をしないでできる範囲で散歩をすれば良い。健康のためだからと義務みたいになるのは避けたい。あくまでも散歩を楽しむということを基本にして、早朝の景色を味わいながら歩きたい。
ということで、とりあえずの結論として、飲料的なエネルギーをとってから早朝の散歩に出かけるようにしたいとなった。そして寝不足にも注意して、無理をせず、体調に合わせて散歩の程度を加減することも考慮したい。
参考文献:
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